島の形成史からみれば、ヒトの歴史はほんの一瞬ですが、ここ、利尻島には古代の遺跡をはじめ、漁業遺産や社寺、石碑など
ヒトの息づかいが感じられる文化遺産がちりばめられています。
遺産を象徴する主な漁業遺産群 及び 生活文化
利
尻
富
士
町
利
尻
町
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袋澗(泉の袋澗 他)
袋澗とは、ニシンが水揚げされた際の一時保存のための石積みで囲った小さな港を指す。ほかの袋澗よりも保存状態がよく、近代土木遺産として価値がある。
地元住民には「泉のなまこ」と呼ばれ親しまれている。
また、島内には50か所におよぶ袋澗や痕跡が分布しており、
往時の面影を偲ばせるところもある。
釜 場
大量にとれたニシンは、釜茹でされ肥料となる魚粕としても出荷された。
近代日本の主力産業であった綿花栽培にも一役買ったという。
本泊には2か所現存している。鉄釜のみであれば島中に残っている。
リイシリ運上屋
近世の利尻・礼文(リイシリ場所)において、アイヌと和人の交易拠点となった施設。
かつては、利尻の玄関口であり、中であった。
当時の遺構として石段が残る。
石碑群
石材が豊富な利尻には、青森県に由緒をもつ庚申や秋田県に由緒をもつ太平山三吉神社などの民間信仰碑や各種記念碑、顕彰碑、
文学碑など社会を物語る多くの石碑が残されている。
移住者の信心深さや先人に対する敬いなどが刻まれた文化遺産として、貴重である。
元 標
海岸に産卵のため押し寄せるニシンを獲るためには、建網を敷設する必要があり、その指標となった境界杭。「鰊定№」が1つ1つにつけられる。
本泊神社
奥の院の頓宮として建立。
境内には、奥の院同様、鳥居や石灯篭が残り、本泊地区における近世遺構の1つとして重要である。
獅子舞
島内には2つの獅子舞が伝えられている。
1つは、富山県から南浜地区に伝わった南浜獅子神楽で、
現在大人と子ども各々で舞われている。
もう1つは、鳥取県から長浜地区に伝わった麒麟獅子舞で、
復活して10年以上が経過した。
いずれも明治時代に移住者の故郷に対する想いが結実した芸能として
貴重である。
利尻山
利尻島の名の由来となった「リイシリ」は
アイヌ語で「高い・島」。
文字通り、高い山がいつの時代もランドマークとなり、
集落ごとに祀られる神社信仰の対象であり、
アイヌの伝説、航海や漁の目印の対象となった。
現在も地元住民の誇りであり、
多くの観光客などを惹きつけてやまない。