Kirin

Sisimai

​Mt.RISHIRI

利尻しまじゅうエコミュージアム

 利尻島には近世から近現代に北の海で展開された漁業と移住・開拓の歴史を今に物語る産業遺産群や文化財が遺されているが、利尻島の遺産群の価値は解りやすいものではありません。

 しかし、遺産を物語るストーリーを解き明かし、皆さんへ丁寧に伝えることで、遺産群を利活用する仕組みの構築と仕事の創出、さらに、保全継承につなげる活動を推進していきたいと考え、

「利尻しまじゅうエコミュージアム」を設立しました。

1.沓形岬公園
5.野いちご
4.がんちくの浜
4.BC
アイコン姫沼(秋)
7.エゾカンゾウ

​組織名に込めた想い

​「しまじゅう」という表現には、利尻島全体=今あるまたは過去にあった、未来に遺すべき「ヒト」「コト」「モノ」すべてという意味を込め、本組織の目的である地域の人びとの生活と、その自然、文化および社会環境の発展過程を史的に研究し、それらの遺産を地域において保存、育成、展示することによって、当該地域社会の発展に寄与する意味からも、利尻島すべてが博物館であるという想いで「利尻しまじゅうエコミュージアム」という名称としました。

利尻しまじゅうエコミュージアム「ロゴマーク」

利尻しまじゅうエコミュージアム

利尻島には、かつて栄えたニシン漁など、近世以降に展開された漁業と移住・開拓の歴史を物語る「袋澗」や「釜場」など漁業遺産群や、歴史を物語る石碑、獅子舞など、生活文化の名残が今も点在しています。(平成30年1月1日北海道遺産選定)

 私たちは、それら歴史文化遺産を、島の歴史的観点からアプローチし、島全体で保全活用していくために、「利尻しまじゅうエコミュージアム」という団体を設立し、活動をスタートするにあたり、この遺産価値を広めていくためのシンボルとなるロゴマークを広く募集した結果、18点の応募があり、審査の結果上記のロゴマークを最優秀賞として決定致しました。

​選定理由としては、利尻島の4地区と利尻山、そして海からものがたりが始まっていること、また、「りしりの ものがたり」のフレーズも非常にわかりやすいということから上記のロゴマークへと決定致しました。

 今後は、このロゴマークを活用し、次世代へと遺産の価値を継承し、新たな価値創造、観光資源としてこの漁業遺産を物語るストーリーを伝える仕組みを構築していきたいと考えています。

​リイシリ~ヒトと一万年間~

​北の日本海にうかぶ利尻島は、約20~10万年前に火山活動がはじまったといわれます。もっと古くから誕生していた礼文島とともに2島がほぼ現在の姿になったのは約1万年前で、ちょうどヒトが住みはじめた旧石器時代に相当します。利尻島の豊かな森や水、海の幸は、縄文中期(約4,500年前)になるとヒトの定住を促し、以来ヒトが住みつきました。北方から移動してきたオホーツク文化の人びとは、イヌやカラフトブタを飼養しながら豊富な海の幸を糧に、交易も行っていました。その後、島はアイヌにより「リイシリ(高い山)」と名付けられました。その名の通り、遠くはサハリンから望めるその山容は、航海者にとってランドマークとなり、信仰の対象ともなりました。そして、近代以降は本州各地から人びとが移住し、地域色あふれる文化が周囲64kmをめぐる各地区に形成されました。

​江戸末期、松前などから利尻島に出稼ぎ漁民が渡ってきました。明治になって場所請負制(松前藩が商人に交易を請け負わせた制度)がなくなると、出稼ぎ漁民は青森、秋田、富山、石川、福井、鳥取、さらには太平洋側の三重にも広がり、島にそれぞれ集落を形成しました。

利尻島に渡ってきた人たちは、海を生業の場とし、春にニシン、夏はコンブ、冬はタラ漁を主とし、合間にテングサ、アワビ、ナマコなどを取りました。街には旅館、料理屋、劇場が立ち並び、春には青森を中心に若い衆も大挙して働きにやってきました。ニシンのしめかす、コンブ、棒ダラ、いりこ、干しアワビ・・・。島の産物は各地に運ばれ日本の食文化を彩り、産業を振興しました。海が生業であったことを今に伝えるものとして、ニシンの袋澗、漁業の安全を祈願する数々の神社、移住者により持ち込まれた各種信仰にまつわる石碑や各地の獅子舞といった民俗芸能などがあります。​

南浜獅子神楽.JPG
泉の袋澗.JPG
麒麟獅子舞(2004_0620).jpg

袋澗は、ニシン漁の網元が石を積んでつくった小さな入り江。漁獲したニシンを一時保管するためなどに使われ、今も島内数か所に残っています。

獅子舞のうち麒麟獅子は鳥取、南浜獅子神楽は富山から伝えられ、古里を遠く離れた移住者たちの心の支えとなりました。

島にいたり、島から発する海の道は「ヒトは北へ、モノは南へ」という交流史をつくり上げました。島に残る遺産をリスト化して価値を創造し、担い手も育成して、利尻島の未来創造につなげていきたいと考えています。

​利尻島の町の成り立ち

現在、利尻島には「利尻町」「利尻富士町」の2つの町で構成されていますが、かつては6つの村からなっていました。​1899年(明治32年)、鴛泊村と本泊村が合併、1900年(明治33年)には鬼脇村と石崎村が合併し、1902年(明治35年)、「沓形村」「鴛泊村」「仙法志村」「鬼脇村」の4つの村へと変わっていきました。そこから月日が経ち、1949年(昭和24年)、沓形村が沓形町へ。1956年(昭和31年)、沓形町と仙法志村が合併し「利尻町」へ。鴛泊村と鬼脇村が合併し「東利尻村」へ。さらに東利尻村は1959年(昭和34年)東利尻町へ。1990年(平成2年)いまの「利尻富士町」へと変わっていきました。

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